前ふりが長くなってしまいましたが、
他ならぬ「自動売買」のことですのでどうぞお許しください。
申し遅れました。
「佐々木健太」と申します。
ここで自己紹介をさせてください。
子供のころはおとなしくて、
教室の隅っこにいつもいるような子供でした。
中学生時代は勉強がよくできて、上から数えていつも5番以内。
スポーツは苦手だけど算数が得意。
付けられたあだ名が「真面目くん」。
将来の夢は、父親と同じく公務員になることでした。
何と言うか、実に平々凡々とした普通の子供でした。
その後、真面目くんというキャラを脱したいという思いから、
高校は「高専(高等専門学校)」で寮住まいをはじめ、
地元を出ました。
そこはロボットコンテストには出るような学校で、
技術者志望の同級生が多かったのですが、
私はとにかく寮生活が楽しく、少しずつ垢抜けてきて、
いつしか「真面目くん」という肩書きはなくなっていました。
都合、高専には7年間在学し、
卒業後、機械系の会社に就職します。
就職した会社は「ベアリング」といって、
回転する部分の摩擦を減らし、
運動をなめらかにする部品を製造する会社でした。
そこで、ベアリングを製造する機械の導入、修理、
また、製造ラインを作ったりする仕事に就きました。
しかし、この会社がいわゆる「ブラック企業」で、
早朝から深夜まで残業手当もなしに馬車馬のように働かされ、
土日も出社で休む暇がありません。
上司である役職者を見ると、
会社から尋常ではない「時間の拘束」を強いられ、
役職が上がれば上がるほど目の輝きが失われるという
笑うに笑えない惨状でした。
その時、私は30歳の直前。
まだまだ長いこれからの人生をじっと考え、
このままこの会社に人生を尽くしたら、
きっと後悔だらけの人生となってしまう。
毎日、自宅と会社の往復ばかりで、
産まれたばかりの娘にもまともに会えない状態が続くのは
絶対に嫌だ。
娘のこと、妻のこと、そして自分のこと、
考えに考え抜いた末に思い切って会社を辞め、
実家近くの会社に転職をしました。
実は当時、そんなブラック企業で働きながらも、
FXをはじめていました。
リーマンショックが起こる前の2008年の頭からです。
当時、必死で貯めたお金を元手に、
仕事から帰ってきては、自己流のトレードを繰り返し、
毎日、眠い目をこすりながらチャート漬けの日々を送っていました。
先ほどもお話ししたように、勤務先はブラック企業でしたので、
帰宅する時間が深夜0時を超えることも珍しくなく、
ようやくチャートに向きあえるのが、深夜1時を過ぎてから・・・
などということもしばしばありました。
稼げない日々が長く続きましたが、
それでも歯を食いしばってFXを辞めなかったのは、
場所にも時間にも組織にも囚われることなく、
パソコンとちょっとした資金さえあれば、
自分の力でお金を稼ぐことができるという「FXの可能性」を、
稼げないなりではありながら感じていたからです。
そう。
私はFXの可能性を感じていたからこそ、
その時はまだ稼げてはいなかったのですが、
30歳という人生の節目に転職を決意できたのでした。
恐ろしい現実
先ほどお話ししたように、
私がFXを始めたのは2008年の初頭、
リーマンショックが起きる半年ほど前のことでした。
当時は、高金利通貨の買いポジションを持つ
「スワップトレード」が流行っていて、
私もご多分に漏れず大量の買いポジションを持っていました。
そんな、FXを開始してから半年ほどが経ったとき、
リーマンショックが発生します。
リーマンショックを発端とした急激な下降トレンドが発生し、
保有していた買いポジションの全てが損失になってしまいました。
とは言え、こんなことは当たり前です。
世界経済をどん底に落としたリーマンショックの中にあって、
FXの知識も経験もない素人など荒波にもまれる笹舟のようなもの。
当時の私の貯金残高が200万円だったのですが、
口座に入れておいた資金はその半分の100万円。
私はその100万円すべてを短時間で溶かしてしまいました。
悲しいかな悲劇はまだ続きます。
そこでやめておけば良かったのですが、
私はスワップトレードで負った100万円の損失をFXで戻すべく、
あろうことか、残りの100万円を口座に追加投入し、
雑誌か何かで読んだ「さや取り」という方法で、
決死の覚悟で再び相場に臨みます。
しかし、あなたもご想像のとおり、
そのような「精神状態」で、
なおかつそんな「付け焼き刃の手法」で勝てるほど、
相場は甘くはありません。
その時は、想像だにしていませんでしたが、
リーマンショックの余波でさやが急激に逆方向に開いてしまい、
最後の100万円がみるみる減っていくことになったのです。
ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、
FXでトレードをするためには、
あらかじめ口座に資金を入れておく必要があります。
ですが、損失がどんどん膨らみ、一定の資金量を割り込むと、
口座破綻を避け、口座を維持させるために、
資金を追加投入しなくてはならなくなります。
しかし、最後の100万円を投入した直後の私の手元には
ほとんど資金が残っていませんでした。
にもかかわらず、最後の100万円を失いたくないばかりに、
損切りすらできないありさま。
怖くてトレード画面を見てはすぐに閉じるのですが、
少し経ったら相場が好転しているかと淡い期待を寄せ、
再びトレード画面を開く。
しかし画面に表示されるのは、
先ほどよりも損失が膨らんでいる恐ろしい現実。
しかも、
「口座資金が少ないので追加でお金を入れてください」
ということを知らせるブザー音がずっと鳴り続けます。
こんなことを何度も何度も繰り返し、
挙げ句には本当に怖くなってしまい、
現実逃避でフトンを頭から被って寝てしまいました。
自暴自棄が混ざった「恐怖」です。
本当に本当に怖かったのです。
これまでの人生で感じたことのない類いの恐怖でした。
翌日の朝。
恐る恐るトレード画面を開き、口座状態を確認します。
100万円あった資金のうち、99万円以上が溶け、
口座残高は「数千円」になっていました。
当時、私はブラック企業のサラリーマン。
肉体を酷使して必死にコツコツと貯めた当時の200万円は、
200万円なら半月ほどで稼げるようになった今のそれと比較すると、
「金額」こそ同じなれど、その「重み」は全然違います。
わずかな期間で200万円を失ってしまったこと。
確かにそれは「恐ろしい現実」でした。
でも、目の前に起こっていることが現実ではないように感じ、
何日も何日もフワフワとした感覚に陥っていました。
数日後。
それでも、FXに対する私の思いが勝ちました。
少しずつ「恐ろしい現実」を直視するようになり、
資金を失った事実を受け止め、
そして・・・
それでもFXに向かっていこうとする「自分」を確認し、
私は再度、FXで戦いに挑む決意をしました。
FXは損切りをしてルール通りにやれば勝てる
再スタートを切る時、私は、200万円を失った現実と向き合い、
なぜ、大きな損失を出してしまったのかを考えました。
そこで気づいたこと。
それは、自分が「根拠なくトレードをしていた」ということでした。
最後の100万円も、損切りさえしておけば、
すべてではないまでも、
それなりに資金は残されたでしょうから。
私はここにきて初めて、FXの教材をいくつか購入し、
売買ルールの研究や検証作業をスタートさせました。
集中するとそれに没頭してしまうのが私の性格で、
それはそれは寸暇を惜しんで取り組みました。
学びの中で一番腑に落ち、これだと思ったことが
「FXは、損切りをしっかりして、ルール通りにやれば勝てる」
という考え方でした。
この考え方を信じて、1年以上をかけ、
私は、エクセルを使ったトレードシステムを作りました。
これは、インターネットからドル円のレートを引っ張ってきて、
売買ルールの条件が揃ったら、自分の携帯電話に、
メールを送るというシステムです。
つまり、売買ルールに基づいたトレード指示が、
自分のパソコンからメールで自動的に飛んできますので、
あとはそれに基づいてトレードすれば良い。
・・・というシステムを作り上げたのです。
その結果・・・
勝っているうちは、ルール通りにトレードすることができ、
好調そのものでした。
しかし、含み損を抱えてしまうと、
どうしても損切りができません。
リーマンショックで損切りができなかったからこそ、
口座破綻に追い込まれ、あれほど懲りているにもかかわらず、
「明日はきっと上がるに違いない」
「3日後には回復しているだろう」
こんな実に都合のよい「希望的観測」に頭が支配され、
損切りができずにポジションを保有し続けてしまう。
こんなことを繰り返してしまい、
私は最後の最後の虎の子の資金の大半を失ってしまいました。
さすがにこれはショックでした。
だって、リーマンショックのときは、
「損切り」をしなくてはならないことを知らずに
大きな損失を出してしまいましたが、
今回は、
「損切り」をしなくてはならないことを知っているのに、
それができずに、大きな損失を出してしまったのですから。
「知らなかったからできなかった」よりも、
「知っていたのにできなかった」の方が、
自分に対するショックは大きいものです。
自分は自分に厳しい人間だと自負していましたが、
このときばかりは自分は自分が決めたことすら守れない、
甘くて軟弱で意志の弱い人間なんだと自分を責めました。
自分を責め続けて私は気づきました。
「自分はトレードで勝てる人間ではない。」
ということを。
このページの冒頭で、私はあなたにこういいました。
もう、認めませんか?
あなたが「相場の世界では【凡人】である」という事実を。
とりわけ「裁量トレードの【凡人】である」という事実を。
・・・と。
そうです。
私は相場の世界では、凡人であることに気づいたのです。
ここまでやったのにダメだということは、
自分はメンタルが弱く裁量トレードには向いていない
ということに気づいたのです。
同時に、裁量トレーダーの勝ち組は5%程度だと言われる、
本当の意味を理解した瞬間でした。
私は、家族にさんざん迷惑をかけ、
大切な貯金を吐き出し、そして何年もかけて、
ようやくこんな単純なことに気づいたのです。
しかし、「FXでなんとか勝ちたい」という気持ちは消えず、
むしろもっと激しく私の中でメラメラと燃えていました。
自動売買との「出会い」と「発見」
そんな時に出会ったのが「自動売買」でした。
自分は損切りすらできない「裁量トレード不適合者」だ。
であるならば、損切りやエントリーのルールを、
絶対に守ってくれる「プログラム」にトレードを任せれば、
少なくとも自分がやるよりも良い成績が出るだろう。
こんな風に考え、「自動売買」を始めたのです。
しかし、またしてもうまくはいきません。
売れている自動売買ソフトや勝っている自動売買ソフトを
なけなしのお金をはたいて買ってきては動かしましたが、
あれだけ過去の成績が良かった自動売買ソフトが、
自分が運用した翌日に過去最大の大負けをする。
・・・こんなことが何度も続きました。
でも、もはやうまく行かないことには慣れっこの私。
これしきのことでは諦めません。
大げさではなく血を吐くくらい検証を重ねていたある日、
私は、あることに気づきました。
それは、自分が購入したある「2つ」の自動売買ソフトを
並行して運用しているときのことです。
「あれ?
Aという自動売買ソフトの調子が良い時は、
Bという自動売買ソフトは調子が悪いな。」
ということに。
単純なことです。
こんな何の不思議でもない当たり前の事実を、
なぜ私が、ことさらに「気づいた!!」と訴えるのか、
あなたはわからないかも知れません。
しかしこの気づきがあったからこそ、
後の私の「自動売買での常勝街道」に続くわけです。
何の不思議でもない当たり前の事実なのですが、
私にとっては大きな大きな気づきでした。
そうです。
私は、それまで、
「稼げる自動売買ソフト」ばかりを探し続けていました。
しかし、実際に自動売買ソフトを動かしてみるとわかりますが、
勝ちつづけられる自動売買ソフトなど存在しません。
それにうすうす気づいていたにもかかわらず、
私は「死ぬまで勝ち続けられる聖杯的自動売買ソフト」を
チルチルミチルの青い鳥よろしく探し続けていました。
しかし、上述したように、
「2つ」の自動売買ソフトを並行して運用しているとき、
私は気づいた(目覚めた)のです。
・2つの「自動売買ソフト」を運用しているときは、
どちらかの調子が良くて、
どちらかの調子が悪いということが多いな。
・であれば、まずは「自動売買ソフト」の
「勝ち」ではなく、「負け」に注目しよう。
・「自動売買ソフト」の「弱点」を把握し、
その弱点を補いあうような別の「自動売買ソフト」を選択し、
それらを組み合わせて運用しよう。
ということを。
これこそが「ポートフォリオ」を組むということだったのです。
「勝ち」ではなく「負け」。
「利益」ではなく「損失」。
完璧な自動売買ソフトなどないのだから、
「負の部分」を補い合うことで、
結果、大きな収益を得ることができると気づいたのです。
しかも、5年、10年と、長きにわたって。
確かに、目先の数ヶ月、半年くらいであれば、
1本の優秀な自動売買ソフトだけでも乗り越えられるでしょう。
しかし、悲しいかな単独の自動売買ソフトだけでは、
1年単位で長く稼ごうとすることはできません。
なぜなら、過去と同じ相場は二度と来ないのですから。
相場は変化するという前提にのっとり、
複数の自動売買ソフトで弱点を補い合えば、
トータルではプラスになる。
これを確信し、実行に移してから私の連勝街道が始まりました。
ものごとの原理原則というものは、
実に「単純」なところに存在するものです。
私は、
「勝ち続けられる自動売買ソフトなど存在しない」
という変えようのない事実に抗うのをやめ、
視点を「勝ち」から「負け」に転じることで、
決して開けることができなかった難攻不落の「鍵」を、
開けることができたのです。
その後、「無料」で「100個」以上の自動売買ソフトを
手に入れることができる「ある場所」からソフトを調達し、
試行錯誤しながらポートフォリオを組み、
ようやく安定して利益を得られるようになりました。
今では投資元本も拡大し、
月平均300万円の収益をあげられるようになりました。
結果、苦労と迷惑をかけた妻に楽をさせてあげることができ、
そして、まだ小さい娘と、今しかない時間を、
目いっぱい楽しむことができるようになりました。
最後に少しだけ余談ですが、
せっかくの自己紹介ですので少しだけアピールさせてください。
私は自動売買を運用するだけではなく、
自らプログラムを書き、
自動売買ソフトを作ることもできます。
先ほども触れましたが、失敗を繰り返し、
血反吐を吐きながら自動売買運用の検証を続ける中、
この際だから自分で自動売買ソフトを作ってみようと思いたち、
もともとプログラミングができたことも追い風となり、
自分で自動売買ソフトを作ったのです。
いくつか作っているうちに、
自分以外の人にも使ってもらいたくなり、
FXの自動売買ソフト販売の最大手サイトに出品し、
その中のひとつが、
なんと年間ランキング1位を獲得しました。
年間ランキング1位を獲得したということは、
それだけ、運用成績が良かったということです。
そういった実績もありますので、
プログラミングレベルでここまで詳しく取り組んでいる
自動売買トレーダーは、手前ミソながら国内にはいないと思います。
お恥ずかしながら、汗と涙にまみれた
私の「FX半生記物語」をご紹介させていただきました。
大変な苦労をしてきた分、
自動売買の知識や経験は人並み外れたものを持っていると
自負していますし、
また、たくさん失敗をしてきた分、引き出しがたくさんあるので、
教える立場としても、信頼をおいて欲しいと思っています。